いつでもどこでもバスりを夢見るツイッタラーの皆さんこんにちはこんばんは。我々ボカロPも勿論曲を作り発表するからにはいつかどこかでバズって欲しいと願ってると思います。しかしいくら日本が人口減少の一途を辿っているとはいえ数万人数十万人いる(かもしれない)ボカロPの中からバズりを狙うのはロト6当てるくらいの難しさです。
ボカロ曲はどの様に聴かれるものなのか。ボカロ界の特性として特にオタク方面に明るいティーンエイジャーの人が通りやすい道ってのが挙げられると思います。二次元的でゲームやVtuberに親和性があって電子の歌姫アイコンに初音ミクさんが君臨しているのでまあそういう立ち位置なんですよね。で、多感なティーンエイジャーは音だけでなくビジュアル面、あと世界観を敏感にキャッチしようとします。いわゆる中二病もその一環じゃないですかね。そしてオタク、サブカル方面に志向する人はつまるところ沼に落ちやすい、深く潜りたがる人。ということでボカロ曲を聴く人は曲そのものではなくて、曲+歌詞+MVの世界観を重視する人が多いのではという事です。
まあ至極当然そのままそれはそう、なんですが、何でわざわざこういう事考えるかというと、自分はオタク界隈に長いこと居ながらそういうタイプの人間ではないからです。自分はオタクでありマイノリティでありコミュ障であり端っこにいてはじめて安心出来るタイプの人間ですが、深く潜るタイプの嗜好性は持っておらず、広く浅くをモットーに生きております。故に深い愛情、情念、完璧な世界観等は自分が持ち合わせていないが故に憧れを持って接しているつもりです。まあ実際直接触れたらそれはそれで怖くなって逃げてしまうでしょうけど。
さてそんな自分が創る曲はとにかく音が中心です。元々インスト系の曲作りから始まってボカロに移行してるのも大きいですね。生粋のボカロPやオリジナル系のバンド出身の方は逆に世界観をしっかりと構築してその上で楽曲に昇華させたりされていますね。この差が結構大きいわけです。前述の通りボカロ曲リスナーは世界観を重視しており、自分のような音中心の楽曲よりも世界観をしっかりと持った楽曲を好んで聴くわけです。つまりボカロリスナーにブッ刺さる曲はきっとそういうタイプのボカロPの楽曲なんだろうなってことです。実際ボカロ界隈を通っている人は曲の聴き方の中止軸は音そのものよりもその世界観、なんでしょう。
自分はとにかく音が好きなので(と言ってもアナログシンセこそ至高!とかジャズクラシックこそ!とか高尚な何かとかでもないですが)、DAWでとにかく好きな曲調をぽんぽんつくります。つまり曲先。作詞はホント毎回悩んでます。悩んでるってことは中々ホンモノには勝てないだろうな、なんて思ったりもします。でもそんな需給のエンゲージメントの端っこに居場所を見出しているのも何というか自分の日影的生き様そのものなんだろうなあと俯瞰したりもしてますし、ボカロ曲初めてもうかなり経つのである程度は構築できるようにしていくようにしておりますし。一方でtiktokのノリだけでバズる世界もそれはそれで可能性を広げてくれていて有り難いですね。
何処かの誰かにブッ刺さるような曲をつくるまがい物にならないフェイクスターを目指そうか。
コメント